1924年8月、兵庫県生まれ。1942年に灘中(旧制)から慶應義塾大学に入学。捕手として活躍した。卒業後は毎日新聞社に入り、運動部記者、野球を担当。過去に毎日新聞名誉職員。六大学野球連盟記録委員、日本アマチュア野球記録委員、日本野球連盟参与、関東野球連盟顧問などを歴任する。慶應義塾野球部史(100年・125年)編纂。著書に『六大学野球部物語(共著 恒文社)』『不滅の高校野球上下(早慶戦90年)』(ともにベースボール・マガジン社)『神宮へ行こう』(慶應義塾大学出版会)等がある。享年91歳。
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松尾俊治さん(元運動部)を悼む
灘中―慶応の捕手。1943年(昭和18)10月16日、早大戸塚球場で行われた「最後の早慶戦」出陣学徒壮行早慶戦の記念撮影に、後列右端「KEIO」のユニホーム姿の写真が残る。
慶応の先輩が発行していた「野球世界」の記者から50年に毎日新聞に入社。以来アマチュア野球専門に記者席から試合を見続けた。『六大学野球部物語』『最後の早慶戦 : 学徒出陣還らざる球友に捧げる』『神宮へ行こう』『ああ甲子園!! : 高校野球熱闘史』『選抜高校野球優勝物語』『都市対抗野球優勝物語』など著書多数。
松尾の功績のひとつに創立100年の記念事業として編纂された『慶應義塾野球部史』(1960年初版発行)をあげたい。各大学の野球部史は、慶応の野球部史をお手本としてつくられている。――これは大東京竹橋野球団S・ライターズ編『野球博覧』に書いた1961年(昭和36)春の毎日新聞の社内野球決勝戦、運動部対スポニチ報道の記事の一部である。
松尾さんが2月5日亡くなった。91歳だった。
私が神宮球場で最後に会ったのは2012年秋の早慶戦だった。松尾さんは、家族に抱きかかえられるようにして記者席に座ったが、実に嬉しそうだった。それもそのはずで、慶応の後輩でもあるフジテレビスポーツ部の孫娘が早慶戦をテーマにした番組づくりでベンチ裏を走り回っていたからだ。
塾旗が飾られた式場には慶応のOBや野球関係者が多数駆けつけた。祭壇には現役時代の写真も飾られ、天皇杯を手にしたのもあった。 合掌
堤 哲(ツツミ サトシ)
東京生まれ。1964年早稲田大学政経学部卒、毎日新聞社入社。社会部記者として国鉄本社、都市対抗・選抜高校野球取材のキャップなどを担当。編集委員、紙面審査委員長などを歴任。現在鉄道記者らの「交通ペンクラブ」事務局長。公益財団法人「アジア刑政財団」、同「日本ナショナルトラスト」各評議員。著書に『伝説の鉄道記者たち―鉄道に物語を与えた人々』『国鉄スワローズ1950‐1964』。